「ここは本当の居場所じゃない」という思いが僕の脳裏に根付いたのはいつだっただろう。アメリカの南部の田舎で育ったが、中東か
らの移民である父親はいつも母国の情景を語ったり、母国語を聞かせたりして、小さい頃から僕は「海外」や「外国語」に対して強い憧れを抱いていたから、きっとその思いは当時もうすでにあっただろう。現在自分がいるところへの違和感と、「本当の居場所」への憧憬との差が、稼働力となって、まるで前へと、引っ張られているかのように、人生が進ませてきた。地元には珍しく大学に入ったのも、海外に住むことになったのも、日本語を学んだのも、すべてはおそらくその無意識の居場所探しの結果だろう。勿論「本当の居場所」なんか存在するとは思わない。しかしそれでもその満たしようのない欲望は、自分の一生に伴うものになるだろう。

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