作者名称 国旗国籍

Null

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2019.06.27 23:11

「ここは本当の居場所じゃない」という思いが僕の脳裏に根付いたのはいつだっただろう。アメリカの南部の田舎で育ったが、中東か

らの移民である父親はいつも母国の情景を語ったり、母国語を聞かせたりして、小さい頃から僕は「海外」や「外国語」に対して強い憧れを抱いていたから、きっとその思いは当時もうすでにあっただろう。現在自分がいるところへの違和感と、「本当の居場所」への憧憬との差が、稼働力となって、まるで前へと、引っ張られているかのように、人生が進ませてきた。地元には珍しく大学に入ったのも、海外に住むことになったのも、日本語を学んだのも、すべてはおそらくその無意識の居場所探しの結果だろう。勿論「本当の居場所」なんか存在するとは思わない。しかしそれでもその満たしようのない欲望は、自分の一生に伴うものになるだろう。
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Comments

  • lghxyt 2019.06.27 23:12

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    素晴らしい
  • Yumei 羽美 2019.06.27 23:12

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    Great essay
  • Null 2019.06.27 23:14

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    現在自分がいるところへの違和感と、「本当の居場所」への憧憬との差が、稼働力となって、まるで前へと、引っ張られているかのように、人生進ませてきた。

    現在自分がいるところへの違和感と、「本当の居場所」への憧憬との差が、稼働力となって、まるで前へと、引っ張られているかのように、人生進ませてきた。

  • Ayk 2019.06.27 23:14

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    I know the feeling
  • ri 2019.06.27 23:14

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    DA

    👏
  • 優美 yu-mi 2019.06.27 23:16

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    解ります。あなたはそれを本当に実現したのが素晴らしいです。私は中学生のころから外国、日本から出たいと思っていました。 外人と結婚する!と思っていたし笑
  • keiko 2019.06.27 23:18

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    現在自分がいるところへの違和感と、「本当の居場所」への憧憬との差が、稼働力となって、まるで前へと、引っ張られているかのように、人生ませてきた。

    現在自分がいるところへの違和感と、「本当の居場所」への憧憬との差が、稼働力となって、まるで前へと、引っ張られているかのように、人生てきた。

    地元には珍しく大学に入ったのも、海外に住むことになったのも、日本語を学んだのも、すべてはおそらくその無意識の居場所探しの結果だろう。

    地元には珍しく大学に入ったのも、海外に住むことになったのも、日本語を学んだのも、おそらくその無意識の居場所探しの結果だろう。

  • Kaori 2019.06.27 23:21

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    日本は…私の居場所じゃない😢アメリカが大好きです ずっとここに居たい…😭
  • aya 2019.06.27 23:22

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    帰属する場所がどこかではなく、自分が誰なのかを知る事が、自分の居場所を作る・見つける事に直結するのだとようやく理解できたのは、随分と大人になってからだったな…と思い出しました。 サンクチュアリは、自分の中にこそ存在するし、それがあってこその他者との関わり合いですね。
  • keiko 2019.06.27 23:26

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    I changed home town when I was a primary school student so I felt loneliness.
  • Rin りん 2019.06.27 23:36

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    日本人だけど 海外の文化に憧れている😊 私も同じ
  • Thank you 2019.06.29 12:58

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    「ここは本当の居場所じゃない」という思いが僕の脳裏に根付いたのはいつだっただろう。

    「ここは本当の居場所じゃない」という思いが僕の脳裏に根付いたのはいつ(ごろから)だっただろう。

    アメリカの南部の田舎で育ったが、中東からの移民である父親はいつも母国の情景を語ったり、母国語を聞かせたりして、小さい頃から僕は「海外」や「外国語」に対して強い憧れを抱いていたから、きっとその思いは当時もうすでにあっただろう。

    アメリカの南部の田舎で育ったが、中東からの移民である父親はいつも母国の情景を語ったり、母国語を(僕に)聞かせたりして、小さい頃から僕は「海外」や「外国語」に対して強い憧れを抱いていたから、きっとその思いは(幼い)当時からもうすでにあっただろう。

    現在自分がいるところの違和感と「本当の居場所」への憧憬との差が稼働力となって、まるで前へと引っ張られているかのように人生進ませてきた。

    現在自分がいるところ(or場所)の違和感と「本当の居場所」への憧憬との差が稼働力(原動力のことかな?)となって、まるで前へ(or 前へ前へ)と引っ張られているかのように人生進ませてきた。

    地元は珍しく大学に入ったのも、海外に住むことになったのも、日本語を学んだのも、すべてはおそらくその無意識の居場所探しの結果だろう。

    地元は珍しく大学に入ったのも、海外に住むことになったのも、日本語を学んだのも、すべてはおそらくその無意識の居場所探しの結果だろう。

    しかしそれでもその満たしようのない欲望は、自分の一生に伴うものになるだろう。

    しかしそれでもその満たしようのない欲望は、自分の一生に伴うものになるだろう。(or自分の一生につきまとうものになるだろう)

  • Akikonomu2 2019.07.13 16:20

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    小説を読む理由も同じようなことが言えますね。自分の理想はどこかにあって、ここにあるんだって。そういう風に読書をしている。なんか放浪の旅をしてるみたいに。 でも、そこには孤独というものが付いて回る。人間は存外平気で孤独な生き物なんですよね。そしてどうなるかと言えば、結局、「人間ができることなんて建設以外ないんじゃないの?」っていうのに行き着く。そしてそれがきっと「生きること」なのだと思う。というか、そこに行き着けない限り、何も始まらないし、何も生まれもしない。須く「そこへ行き着けなければならない」というのが人類にとっての「経験知」であり、また「教訓」・「常識」なるものなのではないかと思う。  私はGregさんの書き込みを読んでそんなように思いました。 大変な長文、失礼致しました。

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